(73) 赤い舌 - よもやまばなし

(73) 赤い舌
2010/2/1

 前回のこの「よもやまばなし(72)」を見ていただいた方で、最後部分では何だか人を謀るようなと、不愉快に思われた方があったとしたら、お詫び申しあげたい。もしご覧で無い方は、ここ(72)部分をクリックして、一寸確認頂ければ幸いである。

岡山県芋岡山遺跡出土の甕形土器

上の土器の肩から垂れ下がった赤色顔料

芋岡山遺跡の山裾にある、白江遺跡出土の大甕胴部に、赤色顔料で描かれた、太い曲線文様

 この部分をどの様に感じられるかは別として、実は「赤い舌」云々は100%謀ったわけではないのである。「壷わらし」かもしれない小さい壷・・・と言うより、これは我々考古学仲間では、甕形土器と呼ぶものであるが・・・これには「赤い?か」が無縁でないのである。ただその話の前に、ちょっとこの甕を壷と言ったことについて、弁解しなければならない。

 土器の呼び名で、壷と甕とどう違う、と改まって聞かれると区別の難しいことになる。一般的には、壷は口や頚部分が胴部に比べて小さく、胴部が横に張った容器を指している。甕は同様な容器でも、口や頚部が広く、口径が胴部の径の3分の2以上の広さを持つような形ものを指すのが普通である。

 また縄文時代や弥生時代の土器の場合などでは、先の口頚部の大きさと共に、壷形品は貯蔵用容器、甕形品は煮炊き用の容器という説明も加っている。しかしこの用途に関しても、全てがそれに当てはまるものではない。縄文土器の場合などは、両用に兼用できる、深鉢形という呼び名が一般的である。

 壷と甕とは以上のようなことで、厳密には区別の付きがたいものも多いので、ここでの「壷」は、そのあたりに展示中の土器の代名詞くらいの意味で用いたことであった。

 ともかくも、先回の真っ暗な写真中に薄っすらと見えていた土器は、左上の写真のような、弥生時代後期の一般的な甕形土器であったが、その胴部を、明るいところで近づいてよく見ると、左中の写真のようなものである。

 この土器の肩から胴部にかけて、赤色顔料が垂れ下がったように付着している。水溶きされたような赤い顔料が、土器の肩にたっぷりかけられたことで、そこから赤色が胴部に、垂れ下がったという状況である。

 べろりと出した、大きな赤い舌とまでは行かないが、トカゲかヘビのちょろちょろ覗いた赤い舌くらいにはいくのでは・・・・

 実はこの土器、少し前のこの「よもやまばなし69」で取り上げた、穴を開けた高坏と同じ遺跡でしかもほぼ同じ所から出土したものであった。岡山県小田郡矢掛町の芋岡山遺跡で、弥生時代の墳墓域を区切った溝の中に、並んで置かれていた土器の一つだったのである。

 この遺跡に次々埋葬された30人ばかりの人々の中でも、主だった人の葬送の際だろうか、それとも合同での祭りの時だろうか、ともかく供え物の土器に穴を開けたときに、この土器には真っ赤な顔料が注がれたのだろう。このなかに入っていたものが何であったのか?・・・・全ての土器に注がれては無いので、そこには特別の意味があったに違いないが、いまではわからない。何かの血潮の代わりなのか、それとも赤の顔料自体に、特別の威力を認めていたのか・・・・

 この芋岡山遺跡のすぐ西側の山裾には、芋岡山の墳墓群の中では、最も古い時期と同じ頃の遺跡がある。白江遺跡と呼ぶこの遺跡内の一角には、遺構は余りはっきりしなかったが、40点ばかりの土器溜まりがあった。そのうちの30点ばかりは壷と甕だったが、その内で最も大形の甕の一つに、左下の写真の様な大きな曲線模様が赤色顔料で描かれていた。流水を意識したのか、それともすでに竜のような架空のものの力の表現なのか・・・芋岡山の墳墓群と無縁で無い遺跡と考えている。

 この土器も先の甕の隣ケースの展示品なので、この土器も「さて何だか分かるかな?」と赤い舌をだしているのでは・・・・

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